Vol.8 「世界が認めた ラメラテクノロジー®」 |
世界で初めてラメラテクノロジー®※注1)(以下ラメラテクノロジー)が応用された化粧品コンシダーマルミルクローションが特許出願されたのは2001年のことでした。
皮膚臨床薬理研究所 (Hifuken)の森川博士や鈴木先生は当時、このミルクローションの完成を「浸透力の革命」であると仰っていました。 先生たちは1960年代前半から医学、薬学の知識を積み重ね数々の化粧品開発に携わっていました。70年代には誰よりも早く「敏感肌用の化粧品」開発や紫外線に関してもグローバルな研究を続けていました。そんな先生たちの長い化粧品開発人生の最終課題が「これまで発見されて来た有用成分をいかにして肌(角質層)へと浸透させるか」という技術の開発でした。それこそが「肌構造(ラメラ構造)と類似の構造を持つ化粧品の開発」でした。つまりその結晶がコンシダーマルミルクローションだったのです。 ところが特許庁からの連絡がなかなか届きませんでした。出願代行した弁理士が言うには特許審査は既に出願されているものから順次行われるので審査に達するまで時間が掛かる。そこから提出データの分析が始まり、他との被りや類似のものがないか精査が行われるので結論が出るまで2~3年要する事も多々あるとのこと。特許取得を信じて疑わない皮膚臨床薬理研究所は待つより他ありませんでした。
そして長い審査期間を経て2004年に出た結論は却下という判断でした。鈴木先生はこの結果について「審査員の理解が不十分だと思う。もし可能なら自分が出向いてこの出願データについて直接説明をしたい」とまで掛け合いました。しかし一度出た結論が見直される事はなく、結果として世界初のラメラテクノロジーを応用したミルクローションは特許取得の認可がおりませんでした。
程なくして鈴木先生が再度チャレンジしたのがミルクローションという商品ではなくその製造法についての特許出願でした。「液晶乳化組成物の製造方法」※注2)。
つまりこれがラメラテクノロジー化粧品製造法です。
2007年特許庁はこの製造法について、
ついに理解を示し特許取得の認可を下します。 結果、この特許は日本だけでなく 同時にアメリカ、ヨーロッパでも特許取得となりました。 ラメラテクノロジー開発者 鈴木喬先生 現在、テレビを初め多くの情報媒体で「ラメラ」と言う言葉を見受ける事があります。ラメラを謳う化粧品の広告を誰もがきっと見た事があると思います。ラメラ構造を宣伝文句に掲げている多くの化粧品が存在します。 その先駆けであるラメラテクノロジー化粧品製造法に鈴木先生が辿り着いたのは1995年、世界初のラメラテクノロジー技術でコンシダーマルミルクローションを誕生させたのが2001年。そしてその製造技術が日本及びアメリカ、ヨーロッパで認められ特許取得に至るのが2007年。 まさにここにラメラ化粧品の歴史があります。やがてコンシダーマルミルクローションはコンシダーマルスキンライズローションへと進化。現在に至ります。 元祖ラメラテクノロジーの化粧品は26年前のあの夏の日、皮膚臨床薬理研究所の一室から始まったのです。
※注1)ラメラテクノロジー®は皮膚臨床薬理研究所株式会社(Hifuken)の商標登録です。
※注2)液晶乳化組成物の製造方法 皮膚臨床薬理研究所株式会社(Hifuken)所長 鈴木喬の開発した製造方法(2007年:日米欧で特許取得)は界面活性剤の種類を限定し、親水性の高い非イオン界面活性剤と親油性の非イオン界面活性剤を使用。界面活性剤と油の比率を限定し、界面張力を低くして乳化することで100%の液晶ラメラを作り出した。既存のものと異なりこれは系全体が液晶である。 (特許番号3987551・3987552 US 7534369 EP 1801184・EP 1801185) ※Wikipedia「ラメラ構造」より引用
鈴木先生の研究室
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2021.06.01